「殺風景なオフィスを、緑溢れる癒やしの空間へ――」。
今や日本のビジネスシーンにおいて当たり前となった、オフィスの観葉植物レンタル。
このビジネスモデルを日本で確立し、一台の軽トラックからスタートして業界初の株式上場、さらには世界進出へと導いた伝説の経営者がいます。
株式会社ユニバーサル園芸社の創業者、森坂拓実会長です。
2025年12月18日放送の『日経スペシャル カンブリア宮殿』に登場する森坂氏。
その歩みは、単なる成功物語ではありません。
度重なる挫折、経営破綻の危機、そして「経営の神様」稲盛和夫氏との出会い……。
本稿では、森坂氏のプロフィールや詳細な経歴、そして彼を突き動かす独自の経営哲学を徹底解説します。
なぜ彼は、植物というアナログな商材で「世界一」を狙えるのか。その真髄に迫ります。
森坂 拓実(もりさか たくみ)の プロフィール
| 項目 | 内容 |
| 生年月日 | 1948年1月23日(77歳) |
| 出身地 | 福井県(小学6年生時に千葉県へ移住) |
| 現職 | 株式会社ユニバーサル園芸社 代表取締役会長 |
| 座右の銘 | 「人生二度なし」(哲学者・森信三の言葉) |
| 経営の師 | 稲盛和夫氏(京セラ創業者・盛和塾) |
| 主な実績 | 業界初の株式上場(2012年)、世界15拠点以上のグローバル展開 |
森坂拓実、創業の原点:20歳、6畳一間からの「緑の革命」
森坂氏のキャリアは、1968年の大阪府茨木市から始まりました。
18歳で造園業界に入り、わずか2年の修業を経て20歳で独立。
事務所は6畳一間のアパート、資産は中古の軽トラック一台だけという、文字通りのゼロからのスタートでした。
当時の日本は高度経済成長の真っ只中。
ビルが次々と建ち、都市化が進む一方で、働く環境は無機質でストレスフルなものでした。
森坂氏は「植物は言葉を発しないが、そこにあるだけで人の心を癒やす力がある。この潤いをオフィスに届けたい」と考え、飛び込み営業を開始します。
泥臭い「現場主義」が生んだ信頼
金もコネもない若き日の森坂氏を支えたのは、執念に近い行動力でした。
- 夜討ち朝駆けの営業: 建設中のビルの看板を見ては、完成前から施主にアプローチする徹底した「先行営業」。
- 路上での週末: 平日の営業資金を稼ぐため、土日は路上で鉢植えを販売。深夜まで街角に立ち続け、手がかじかむ寒さの中でも「一鉢の緑が誰かの人生を豊かにする」と信じ、声を張り上げました。この「一円を稼ぐ重み」を身をもって知る経験が、後の盤石な経営基盤の礎となったのです。
森坂拓実の経営の転換点:ワンマンからの脱却と「稲盛哲学」
1974年に法人化し、バブル景気にも乗り会社は急成長を遂げます。
しかし、当時の森坂氏は強烈な牽引力で売上を伸ばす一方、社員を厳しく叱り飛ばす「ワンマン社長」でした。
その結果、離職者が後を絶たず、組織はバラバラになる危機に直面します。
「なぜ、人がついてこないのか」
絶望の淵にいた森坂氏を救ったのが、京セラ創業者・稲盛和夫氏が主宰する「盛和塾」との出会いでした。
森坂氏はそこで、経営の本質は「社員の幸せを追求すること」であり、「人として正しいことを貫くこと」であると学びます。
涙の全社員集会
ある日、森坂氏は全社員を集め、自らの傲慢さを認めました。
「これまでの私は間違っていた。今日からは、君たちがこの会社にいて良かったと思えるような経営をする」と、涙ながらに宣言したのです。
この時、心の支えとなったのが座右の銘である「人生二度なし」という言葉です。
一度きりの人生、過去の失敗に固執するのではなく、今この瞬間から善き方向に変えていく。
この潔い自己変革こそが、同社を業界初の株式上場へと導く最大のターニングポイントとなりました。
数値で見る「グリーンビジネス」の圧倒的成長戦略
森坂会長の経営は、植物というアナログな商材を扱いながら、極めて論理的でデータに基づいています。
「10+10」の成長方程式
森坂氏が掲げる成長指標は、「既存事業の10%成長」と「M&Aによる10%成長」の合算で、毎年20%の成長を継続するというものです。
| 指標 | 目標・実績値 | 戦略的意味 |
| 連結売上高目標 | 300億円 | 園芸業界では異例の巨大規模を目指す |
| 経常利益目標 | 30億円 | 利益率10%を維持する高付加価値経営 |
| 自己資本比率 | 約70% | 無借金に近い財務で、攻めのM&Aを実現 |
2012年には、日本の貸植木業界で初となるJASDAQ(現・東証スタンダード)上場を果たしました。
これにより「単なる植木屋」という世間のイメージを、社会的信用のある「グリーンアメニティ産業」へと塗り替えたのです。
森坂 拓実の世界一を目指すグローバル・M&A戦略
社名に刻まれた「ユニバーサル」という言葉には、創業時から森坂氏が抱いていた「世界で通用する企業になる」という野望が込められています。
日本式メンテナンスを武器に世界へ
2008年の上海進出を皮切りに、アメリカ(ニューヨーク、テキサス、フロリダなど)やシンガポールへ進出。
海外進出の際、森坂氏が徹底したのは「現地の文化を尊重しつつ、日本流のきめ細やかな管理技術を融合させる」手法です。
アメリカでは「置いて終わり」になりがちなグリーンレンタルに、日本式の丁寧なメンテナンスを持ち込むことで、顧客満足度を飛躍的に高め、世界一の座を射程圏内に捉えています。
森坂拓実の人柄:生涯現役、情熱の「緑の職人」
森坂会長を語る上で欠かせないのは、その「温かい人間味」です。
- 「現場の匂い」を忘れない:会長となった今でも、店舗に立ち寄れば自ら剪定バサミを握ります。「植物の顔色を見れば、その拠点が活性化しているかどうかがわかる」と語り、高級スーツよりも作業着を愛する姿は、社員からも深く慕われています。
- 逆転の人間ドラマ:かつて自分を裏切って辞めていった部下が苦境に立たされた際、黙って手を差し伸べたというエピソードもあります。「徳」を重んじる稲盛哲学の実践者としての顔が、そこにはあります。
森坂拓実の経歴・プロフィール、軽トラから上場へ導いた情熱【カンブリア宮殿】まとめ
森坂拓実氏の半生を振り返ると、そこにあるのは「植物への純粋な愛情」と「一度きりの人生を燃やし尽くす情熱」です。
「人生二度なし」という言葉を胸に、ある時は泥臭く路上で鉢植えを売り、ある時は涙を流して自らの非を認め、またある時は世界を舞台に巨大な勝負に出る。
その生き様は、まさに彼が育てる植物のように、深く根を張り、雨風に耐え、そして鮮やかな大輪の花を咲かせてきました。
ユニバーサル園芸社が目指すのは、単なる売上の拡大ではありません。
緑を通じて働く人のストレスを和らげ、人々の暮らしを豊かにすること。
その創業時の想いは、今や国境を越え、次世代へと受け継がれています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
