WillLab(ウィルラボ)代表小安美和の年齢・家族・経歴【クローズアップ現代】

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9月24日に放送された『最賃1000円超だけど… どうする地方の女性低賃金』

クローズアップ現代にたびたび出演する小安美和さん

大企業では男女の賃金格差は解消されてきましたが、地方ではまだまだです。

「女性はパートという価値観」「意見を言えば“珍獣”扱い」

女性が故郷に戻らないのは納得です。

戻らないというより、働きたい女性には戻れない場所となっています。

小安美和さんは地方のジェンダーギャップ解消に向けて企業経営者の意識改革や女性リーダーの育成に取り組んでいます。

今までに兵庫県豊岡市、富山県南砺市、宮城県気仙沼市で実際に女性の「働く」を支援してきました。

会社も立ち上げて、バリバリ働いていらっしゃる小安美和さんがどんなかたなのか気になり、年齢や家族、経歴を調べてみました。

また、小安美和さんが代表を務める”Will Lab”がどんな企業なのかもまとめましたので、ぜひご覧ください。

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小安美和のプロフィール

  • 名前:小安 美和(こやす みわ)
  • 生年月日:1971年(詳細は非公開)
  • 出身地:不明
  • 学歴:東京外国語大学卒業
  • 趣味:絵を描くこと

小安美和さんは1971年生まれなので、今年で54歳です。

兄弟は小安美和さん含めて3人。
弟さんがいるようですが、小安美和さんが長子なのか中間子なのかはわかりませんでした。

幼少期から絵を描くことが大好きで、時間を忘れて没頭するタイプのようです。

祖父がアマチュア画家だったことも影響していそうですね。

幼少期はドイツで生活

出身地はわかりませんでしたが、お父様の仕事の関係で、2~4歳と小学4年生から中学1年生までドイツで暮らしていました

期間としては海外生活は長くありませんが、多感な時期を過ごしました。

マイノリティであることを実感する機会もあり、現在の小安美和さんの原点にもなっています。

また、小安美和さんが小学校6年生の時にお父さんが交通事故に遭いました。

その時、お母さんが「もしお父さんが死んだら、私はあなたたちを育てる自信がない」と言った言葉に小安美和さんは子供ながらにショックを受けました。

幸いお父さんは回復されました。

でも、専業主婦でいると突然収入がなくなるリスクがあることを知ったきっかけとなりました。

そして、小安美和さんは働く女性になろうと決意しました。

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小安美和の経歴

  • 1971年生まれ
  • 1995年 東京外国語大学卒業
  • 1995年 日本経済新聞社入社
  • 2000年 結婚し、シンガポールへ。時事通信社シンガポール支局などに勤務
  • 2005年 単身帰国。リクルート入社。パートナーと事実婚
  • 2012年 分社化でリクルートジョブズに転籍、2013年より執行役員経営統括室長兼経営企画部長
  • 2015年 リクルートホールディングスでiction! プロジェクト立ち上げ
  • 2016年 リクルートジョブズ退社
  • 2017年  Will Lab設立
  • 2019年 内閣府男女共同参画連携推進会議有識者議員
  • 2021年 株式会社インフォバーン社外取締役

2000年、小安美和さんは28歳の時に夫のシンガポール赴任に同行します。

”海外で働く”という幼いころからの夢が叶う!と小安美和さんは、意気揚々とシンガポールで仕事を探しますが、、、

挫折

駐在員の妻は働かないという慣例があり、仕事を紹介されてもアシスタント業務だったのです。

そうして半年間、専業主婦を経験します。

その後、日系通信社のシンガポール支局などで働きました。

でも、シンガポールに来る前は激務をこなしていた小安美和さん、とにかく自分で意思決定ができる仕事がしたいんです。

なので、夫をシンガポールに残し、単身帰国してリクルートに転職しました。

その後、自らの力で上海支社で働く機会をつかみ取ります!

上海での仕事は、小安美和さんの当時の軸、

「メディアで世の中を変える」と「異文化のことをきちんと伝える」

を叶えました。

自分のやりたいことを突き詰め、夢を叶えました。

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小安美和の家族

現在の小安美和さんは、籍を入れない事実婚を選択しました。

”小安美和”にアイデンティティを感じています。

小安美和さんは28歳の時に一度結婚されています。

きっとこのときも自身のアイデンティティを大切にしたいと思ったでしょう。

でも、夫の海外赴任のためパスポートをつくる関係で、姓を変更しなければなりませんでした。

キャリアを積んでいる人は特に、姓を変えると別人になるわけで、抵抗がありますよね。

その後、単身日本に帰国し、33歳で離婚。

34歳で別のパートナーに出会い、事実婚を続けています。

小安美和さんとパートナーとの間に子供はいません。

不妊治療にもチャレンジしましたが授からず、44歳で子供がない人生を受け入れました。

小安美和の不妊治療

28歳で結婚した時から、子供はほしいと思っていた小安美和子さん。

でも、それは「今」ではなく、「いつか」でした。

激務をこなし、体力的にも精神的にも「若い」と思っていたので、望めばすぐに授かると思っていました。

リクルートジョブズに転籍したのが41歳。

その少し前の39歳で不妊治療を開始します。

そして、この先どうやって生きていくかを真剣にかんがえるときが来ました。

その時に、「45歳になるまでは不妊治療と仕事に専念する」と決意します。

不妊治療って、自分の体調はもちろんですが、卵子の育ち具合とか数とかに個人差があって、確認の度に通院が必要です。

そして、自分ではまったくコントロールできず、大事な会議やイベントがあっても事前に通院タイミングが分かっていないので、重なることがあります。

管理職になり、部長を務める小安美和さんは数年間仕事優先の治療を続けました。

「誰にも言わない」「助けを求めない」ことが日本の中では美徳として好まれる風潮があります。

小安美和さんも周囲には言わずに仕事と治療の両立を続けますが、このままではヤバい!となり、不妊治療中であることを周囲に明かします。

しかし、44歳の時に行った不妊治療で有名な専門病院で「あなたの年齢で妊娠した人はこの病院ではいない」と言われました。

努力で何でも叶えてきた小安美和さんには衝撃的だったと思います。

「諦める」

自分で意思決定ができる仕事を持つことと子供を産み育てることは両立できない。

  • 仕事をバリバリこなしたかったら子供は諦める。
  • 子供が欲しかったら専業主婦になるかアシスタント業務しかない。

このままでいいのでしょうか?

小安美和さんは、自らの経験を活かし、女性が働き続けられる未来を創造しています。

女性 × はたらく

「男性であれ女性であれ、自分がやりたいとことや、こうありたいと思うことを実現できる社会にしたい」

引用元:「ありたい姿」を叶える世界をつくりたい 女性起業家の挑戦 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

特に、やりたいことを実現できていないのは、女性のほうが多いです。

”結婚したら家庭に入って子どもを産むべき”という女性に対する過去世代の固定概念を変えていきたい!

小安美和さんの声は当事者だからこそ、響くのかもしれません。

また、事実婚は不妊治療でも法律婚にはない壁がありました。

事実婚であるということで、不妊治療を受け入れない医療機関が多数あったのです。

周りから紹介された実績のある不妊治療で有名な病院は、ほとんどが事実婚だと診てもらえなかったそうです。

キャリアを積む女性にとって姓を変えないこと、”小安美和”でい続けることはとても大切です。

夫婦別姓の制度があったら、もっと通院しやすく、多数の治療を受けられていたかもしれませんね。

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株式会社Will Labとは

Will Labの社名は、

やりたいこと・ありたい姿=「Will」を叶える実験をする場=「Lab」

という意味が込められています。

  • VISION:一人ひとりがWill(ありたい姿)に向けて自らチャレンジできる社会に
    • 誰もが本来持っているWillに向けて、自らがチャレンジできる社会を目指します
  • MISSION:Willをかたちに
    • まずは、女性にフォーカス。
    • 女性が「はたらく」ことを通し、一歩踏み出し、Willをカタチにするための場や仕組みを作ります

Will Labのテーマは「女性×はたらく」

行政・地方自治体・企業・NPOとともに地域のジェンダーギャップ解消に向けて、女性の雇用創出、リーダー育成、起業家支援などに取り組んでいます。

WillLab(ウィルラボ)代表小安美和の年齢・家族・経歴【クローズアップ現代】まとめ

小安美和さんは今年で54歳。

幼少期をドイツで過ごしたことで、女性でも働き続けることを選択できる社会にしたいと使命をもち2017年にWill Labを設立しました。

ご家族は、事実婚をされたパートナーがいます。

子供はいません。

不妊治療をしましたが、44歳で子供のいない人生を受け入れました。

不妊治療については、小安美和さんの葛藤をもっと載せなければならないと思ったのですが、割愛してしまいました。

下記サイトを主に参考にしていますので、詳しく知りたい方はご覧ください。

「子どもを持たない」という、プランBの人生。キャリアアップと不妊治療に向き合った末に見つけた、私の使命。 | UMU

最後までお読みいただきありがとうございました。

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