こんにちは、管理人のメイです。
今夜の激レアさんに漫画家・バロン吉元さんが出演します。
84歳の今も大変お元気で、スタジオでダンスを披露している動画が投稿されています。
そこで今回は、【激レアさん】のゲストであるバロン吉元さんと、その妻・吉元れい花さんがどんな人なのか、プロフィールや経歴を調べました!
バロン吉元のプロフィール
- 名前:バロン吉元
- 本名:吉元 正(よしもと ただし)
- 生年月日:1940年11月11日
- 職業:漫画家、画家
- 出身地:満州生まれ、鹿児島県指宿市育ち
- 学歴:鹿児島県立指宿高等学校卒業、武蔵野美術大学西洋画科中退
- 代表作:『柔侠伝シリーズ』
『バロン吉元』というペンネームは、自分でつけたのではなく、編集部に勝手につけられていたそうです。
本名の『吉元正』で活動していたのに、気が付いたら『バロン吉元』で掲載されていたら驚きますよね。
バロン吉元さん、とっても怒ったそうです。
でも、説き伏せられます。
もし、この時強硬に反対していたら、”ドクロ吉元”になっていたとか。
『バロン吉元』でよかったですね。
また、漫画家の手塚治虫さんやモンキーパンチさんとも親交がありました。
漫画家4,5人で、一人1000万円ずつだして、アメリカにプール付きの豪邸を買おう!という案もあったそうですが、人数が集まらずに計画は頓挫。
でも、すごい発想ですよね。
バロン吉元の経歴
1940年、満州国奉天にて、日満商事で働く父(慶治)と母(エミ)の間に生まれる。
1945年、満州で終戦を迎え、引き上げ船で両親の故郷である鹿児島県指宿市に移り住む。
1946年、鹿児島県指宿市立丹波小学校に入学。
1955年、鹿児島県指宿高等学校木材工芸家に入学。
1959年、武蔵野美術大学西洋画科に入学。『街』(セントラル文庫刊)に投稿した『ほしいなあ』が入選。新人特別賞を受賞し、漫画家デビュー。
1961年、武蔵野美術大学西洋画科2年生の途中で中退。
1967年、『白い墓穴』で雑誌デビュー
1980年、単身渡米し、マーベルコミックで執筆。
1985年、帰国後は絵画制作を中心に活動。
2024年、『あゝ、荒野』の連載をスタート
満州で育った子供時代、列車での移動が多く、満州鉄道の機関車を描いたのが一番古い記憶だそうです。
最初に漫画に興味をもったのは、小学校入学後。
貸本屋の息子と仲良くなり、彼が漫画を描く帳面を持っていたことに刺激され、バロン吉元さんも漫画を描き始めたそうです。
しかし、家族の手伝いをする日々が続き、絵を描くことから遠ざかります。
なんと、バロン吉元さんのご実家は、農業、林業、漁業、温泉宿、よろず屋の5つの商売をしていたので、家業の手伝いに明け暮れていました。
転機は、バロン吉元さんが高校生の時、2人の先輩が家を訪ねてきた時です。
2人は武蔵野美術大学と日本大学芸術学部の学生でした。
訪ねてきた理由は、『バロン吉元を美術大学に進学させる』ように両親を説得することでした。
ボロン吉元も「挿絵画家だったらできるかもしれない」と思い、高校の美術部に入り、その後武蔵野美術大学西洋画科に見事入学します。
絵を描くのは好きだったけど、職業にするとは思っていなかったバロン吉元さん。
美術大学に進学したのをきっかけに、新たな漫画表現『劇画』を知り、バロン吉元さんも漫画を描いて応募。
それが新人特別賞を受賞して漫画家デビュー!
その後も出版社に出入りしているうちに、同世代の漫画家と交流する機会があり、アシスタントに。
バロン吉元さんは、武蔵野美術大学を中退して劇画の世界に飛び込むことを決意します!
人との出会いで道が開かれ、決心して行動した人にまた人との出会いがあるんですね。
バロン吉元さん、『激レアさん』の予告では、ちょっと変わったおじいちゃんのように映っていましたが、コツコツと努力を積み、まじめな人なんだと分かりました。
吉元れい花のプロフィール
- 名前:吉元 れい花(よしもと れいか)
- 生年月日:非公表
- 出身地:大阪府
- 学歴:桐朋学園芸術大学演劇科卒業
- 職業:元日劇ミュージックホールのトップダンサー(芸名:朝比奈れい花)
- 受賞歴:日本手工芸美術協会展芸術新聞社賞(2007年)、現創展努力賞(2015年)、二科展デザイン部特選賞(2016)、第25回岡本太郎現代芸術賞入選(2021年)、第25回岡本太郎現代芸術賞TARO賞受賞(2022年)
生年月日は非公表でしたが、1977年に25歳と記録があるので・・・。
1952年生まれですね。
今年73歳です!
夫・バロン吉元さんと11歳差。
吉元れい花の経歴
吉元れい花さんの父は地方公務員、母は専業主婦です。
英国聖公会系の中高一貫校に進学しました。
朝夕の礼拝と厳しい校則で大変だったようです。
その後、桐朋学園芸術大学演劇科に入学。
筋肉表現に興味があり、イサドラ・ダンカンに憧れダンサーになろうと決意!
1972年に卒業後、アキコカンダ氏にモダンダンスを師事します。
なんと、レッスン一年目でカンパニーのオーディションに合格しました!
1976年には『花を表現するのではなく、自らが光り輝く花になりたい』と思い、レビューの世界に飛び込みます!
高級レストランシアターのオーディションを受け、合格!
1977年、25歳で日劇ミュージックホールに引き抜かれます。
そして、トップダンサーとして活躍!
1985年、漫画家のバロン吉元と結婚を機にステージを引退。
夫・バロン吉元の手伝いでスクリーントーン貼りをすることに。
吉元れい花さんは、細かい作業が苦手でしたが、ハマりました!
これをきっかけに、刺繍に目覚めます。
植木良枝刺繍教室に入会すること10年。
2000年に植木良枝刺繍教室師範免状を取得しました。
そうして35年以上刺繍家として活躍しています。
2022年、第25回岡本太郎現代芸術賞にて、史上初の刺繍・歴代最年長で岡本太郎賞を受賞。
脳出血後遺症があり、左半身にマヒがありますが、制作を続けていますよ!
吉元れい花の作品
吉元れい花さんは花をモチーフにした作品が多いです。
お名前にも『花』がありますね。
思い入れがるのかもしれません。
そして、この一見白と黒の世界ですが、濃淡がすごいです!
グラデーションがきれい!本当に刺繍?!イラストじゃないの?と疑いたくなるほどの技巧!
そして人物も刺繡で表現しています
かっこいいですよね!
凛々しい男性が多いです。
女性も妖精なようなかわいい感じが多いですね。
とにかくきれいです!
バロン吉元が激レアさんを連れてきたに出演
6月30日 23:15~『今回の激レアさんは『漫画界随一の破天荒さで周りを超振り回しながらヒットを飛ばしていたけど突然信じられない天罰を受けた漫画家』』にバロン吉元さんが出演します。
バロン吉元と吉元れい花のプロフィール・経歴まとめ
バロン吉元さんは84歳になった現在も作品を世に出し続けている偉大な漫画家ですね。
激レアさんでの『竜巻にまきこまれた』エピソードやスタジオで踊りだしちゃうところを見ると、破天荒で天才肌に見えますが、とても堅実でした。
妻の吉元れい花さんは、ダンサーを目指し、寝ても覚めてもダンスの日々から、バロン吉元さんと結婚されてからは一転、刺繍の道へ。
脳出血で倒れ、左半身にマヒが残っている中、精力的に作品を作り続けています。
病室で夢に見た『岡本太郎現代芸術賞受賞』。本当におめでとうございます!
また、お2人には”エミリー吉元”さんという娘がいます。
エミリー吉元さんはアーティスト、編集者であり、父のマネージャーを務めています。
自宅にある父で漫画家のバロン吉元さんが描いた約3万枚の漫画生原稿を未来に遺すため、奮闘しています。
バロン吉元さんと吉元れい花さんの娘『エミリー吉元』さんについて、今後ブログで取り上げていきますね。